でんた丸ブログ
君たちはどう生きるか (4)
本の第5章は、第4章から一転して裕福な家庭環境にいる同級生(水谷君)の大きな自宅が舞台です。
この第5章の叔父さんのノートの題名は、「偉大な人間とはどんな人か―ナポレオンの一生について―」です。ここでは、ナポレオンの一生を人類の大きな歴史の流れの中に位置づけた上で、人類の進歩に役立った事業だけが値打ちがあり、そういう事業をナポレオンは勇気・決断力・強い意志をもって成し遂げたとされています。また、人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多い。そして単に空しいだけでなく、世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない、とも書かれています。
人類の大きな歴史の流れの中で,人類の進歩に役立っているか否かを考えるという話は、歴史をなぜ学ぶ必要があるのかという質問に対する一つの解答のように感じました。
君たちはどう生きるか (3)
本の第4章の叔父さんのノートの題名は、「人間であるからには―貧乏ということについて―」です。第4章の叙述からは、東京都文京区小石川付近の昭和初期の風景を窺い知ることができます。コペル君が通う中学校(当時は小学校までが義務教育で、また中学生は5年生までいました。)の生徒の親の職業としては、有名な実業家、役人、大学教授、医者、弁護士などが多い中で、豆腐や油揚げを家内工業として生産し販売するという自営業の親を持つ同級生(浦川君)の経済状況が描かれ、経済格差が問題として取り上げられています。全ての人が人間らしく生きていくことがまだできていないという問題と言い換えられています。
この同級生は、家の手伝いをすることで既に生産者の側面があります。一方で、コペル君は、何ら生産せず消費ばかりする人にすぎないが、自分では気がつかないうちに、ほかの点で、ある大きなものを日々生み出していると記されています。そして、その答えをコペル君自身で見つけるようにとされています。
話は変わりますが、公認会計士は、国家の公認会計士制度を支え、信頼という目に見えないものを生産しています。
君たちはどう生きるか (2)
『君たちはどう生きるか』という映画(上映時間124分)は、2023年7月に日本で公開されました。アメリカでは『THE BOY AND THE HERON』というタイトルで公開され、第96回アカデミー賞で長編アニメ映画賞を受賞しました。HERONとは、サギのことで、この映画は映画館で上映中です。そこで、ここでは、前回に引き続き、本の方を紹介したいと思います。
第2章の叔父さんのノートには、「真実の経験」という題名がつけられています。多様な経験を通して、自ら感じたことや考えたことを大切にし、借り物でない自らの思想を形成していくことの重要性が説かれています。人間の立派さを自分の魂で知り、心底からそのような立派な人間になりたいと思わなければ、「立派そうに見える人」になるばかりだ、と記されています。
第3章の叔父さんのノートの題名は、「人間の結びつきについて―なお、本当の発見とはどんなものか―」です。本当の発見は人類初のものである必要がある。その発見をするためには、現在の学問の頂上にのぼり切り、その頂上で仕事をする必要があると説かれています。また、現在の学問の頂上にのぼり切る過程でも、自分の疑問をどこまでも追っていく精神を失ってはいけないとされています。第2章で書かれていたように、多様な経験を通して、自ら感じたことや考えたことを大切にし、そこで生じた疑問をどこまでも追っていくということでしょう。
君たちはどう生きるか (1)
以前、AIにない人間の特徴として倫理観の存在を一例として挙げました。倫理とは、生き方の中で中心にあるもので、モラルとも言います。ここからは、この倫理について『君たちはどう生きるか』(以下、「本」といいます。)という吉野源三郎の著作を題材に考えていきたいと思います。ちなみに、この本と同名の、宮崎駿監督によるアニメ映画が昨年公開されました。宮崎駿監督は、少年時代にこの本を何度も繰り返し読み、感銘を受けたため、自分なりのメッセージをこの度、世に伝えたいと思い、『君たちはどう生きるか』という映画を作ったそうです。
本の内容は、中学一年生のコペル君が、その母親の弟で大学を出たての叔父さんに自分の体験を語り、叔父さんが自分のノートに当該体験に対するコメントを書き留めるという形で進められていきます。大銀行の重役であるコペル君の父親は、亡くなる前に、妻の弟である「叔父さん」にコペル君が人間として立派に育つことを託しました。そこで、叔父さんは、自分のノートに書き留めた内容をいつかコペル君が読むだろうと期待して、コメントを書いています(実際、コペル君が中学二年生になることとなった春休みに、叔父さんは、そのノートをコペル君に読むように手渡しました)。
本の第1章は、「へんな経験」という題名です。コペル君は中学一年生のときに、人間一人一人を客観視して世の中の一分子として捉える見方に気づくという「へんな経験」をしました。今までは自分を中心に据えて人間社会を観察していたのですが、「へんな経験」をしてからは人間を抽象化して、ある一定のルール・秩序の下に動く一人一人の人間としてみることができるようになりました。