でんた丸ブログ

君たちはどう生きるか (3)

本の第4章の叔父さんのノートの題名は、「人間であるからには―貧乏ということについて―」です。第4章の叙述からは、東京都文京区小石川付近の昭和初期の風景を窺い知ることができます。コペル君が通う中学校(当時は小学校までが義務教育で、また中学生は5年生までいました。)の生徒の親の職業としては、有名な実業家、役人、大学教授、医者、弁護士などが多い中で、豆腐や油揚げを家内工業として生産し販売するという自営業の親を持つ同級生(浦川君)の経済状況が描かれ、経済格差が問題として取り上げられています。全ての人が人間らしく生きていくことがまだできていないという問題と言い換えられています。

この同級生は、家の手伝いをすることで既に生産者の側面があります。一方で、コペル君は、何ら生産せず消費ばかりする人にすぎないが、自分では気がつかないうちに、ほかの点で、ある大きなものを日々生み出していると記されています。そして、その答えをコペル君自身で見つけるようにとされています。

話は変わりますが、公認会計士は、国家の公認会計士制度を支え、信頼という目に見えないものを生産しています。

君たちはどう生きるか (2)

『君たちはどう生きるか』という映画(上映時間124分)は、2023年7月に日本で公開されました。アメリカでは『THE BOY AND THE HERON』というタイトルで公開され、第96回アカデミー賞で長編アニメ映画賞を受賞しました。HERONとは、サギのことで、この映画は映画館で上映中です。そこで、ここでは、前回に引き続き、本の方を紹介したいと思います。

第2章の叔父さんのノートには、「真実の経験」という題名がつけられています。多様な経験を通して、自ら感じたことや考えたことを大切にし、借り物でない自らの思想を形成していくことの重要性が説かれています。人間の立派さを自分の魂で知り、心底からそのような立派な人間になりたいと思わなければ、「立派そうに見える人」になるばかりだ、と記されています。

第3章の叔父さんのノートの題名は、「人間の結びつきについて―なお、本当の発見とはどんなものか―」です。本当の発見は人類初のものである必要がある。その発見をするためには、現在の学問の頂上にのぼり切り、その頂上で仕事をする必要があると説かれています。また、現在の学問の頂上にのぼり切る過程でも、自分の疑問をどこまでも追っていく精神を失ってはいけないとされています。第2章で書かれていたように、多様な経験を通して、自ら感じたことや考えたことを大切にし、そこで生じた疑問をどこまでも追っていくということでしょう。

君たちはどう生きるか (1)

以前、AIにない人間の特徴として倫理観の存在を一例として挙げました。倫理とは、生き方の中で中心にあるもので、モラルとも言います。ここからは、この倫理について『君たちはどう生きるか』(以下、「本」といいます。)という吉野源三郎の著作を題材に考えていきたいと思います。ちなみに、この本と同名の、宮崎駿監督によるアニメ映画が昨年公開されました。宮崎駿監督は、少年時代にこの本を何度も繰り返し読み、感銘を受けたため、自分なりのメッセージをこの度、世に伝えたいと思い、『君たちはどう生きるか』という映画を作ったそうです。

本の内容は、中学一年生のコペル君が、その母親の弟で大学を出たての叔父さんに自分の体験を語り、叔父さんが自分のノートに当該体験に対するコメントを書き留めるという形で進められていきます。大銀行の重役であるコペル君の父親は、亡くなる前に、妻の弟である「叔父さん」にコペル君が人間として立派に育つことを託しました。そこで、叔父さんは、自分のノートに書き留めた内容をいつかコペル君が読むだろうと期待して、コメントを書いています(実際、コペル君が中学二年生になることとなった春休みに、叔父さんは、そのノートをコペル君に読むように手渡しました)。

本の第1章は、「へんな経験」という題名です。コペル君は中学一年生のときに、人間一人一人を客観視して世の中の一分子として捉える見方に気づくという「へんな経験」をしました。今までは自分を中心に据えて人間社会を観察していたのですが、「へんな経験」をしてからは人間を抽象化して、ある一定のルール・秩序の下に動く一人一人の人間としてみることができるようになりました。

道をひらく

以前紹介した経営の神様と呼ばれる松下幸之助が執筆した本の中には、戦後2位のロングセラーで、今も多くの人に読み継がれている随筆集があります。それが1968年に出版された『道をひらく』です。この本では、以下の3点が生きる上で重要とされています。

・素直な心=自分の利害を超えた利他の心

・志を立てる

・真剣である→失敗から学ぶ前向きな姿勢

当たり前と考えていても、当たり前に実行することがなかなかできないからこそ、長い間、座右の書として重宝されてきたのでしょう。

縦串と横串

現横浜市長である山中竹春氏は、市長となる前は、横浜市立大学の医学部教授でしたが、専門は、データサイエンスです。データサイエンスは、統計学とコンピューターによる計算(情報学)の2要素から成り立っている学問であるところ、医学部・経済学部・工学部などに、データサイエンスの1要素である統計学を専門とする研究者がそれぞれ所属して、教育・研究を行っているというのが従来からの日本の現状でした。統計学という方法論を専門とする統計学部が米国には従来からある一方で、日本ではそのような学部は今までなかったのです。しかし、今日ではIT人材不足を懸念して、2017年の滋賀大学におけるデータサイエンス学部の開設を皮切りに、様々な大学でデータサイエンスの専門学部が誕生しています。

2022年度の情報処理推進機構の調査によると、日本企業では、ITに見識のある役員の割合が3割未満というグループが全体の7割と大多数を占めており、ITに見識のある役員の割合が5割合以上というグループは全体の2割未満とかなり少数派です。一方、米国企業では、ITに見識のある役員の割合が5割合以上というグループが、全体の4割も占めており、ITに見識のある役員の割合が3割未満というグループと同じ位あります。

これから経済において高い生産性が求められる中では、AIを活用して、信頼できるデータ分析に基づいて意思決定のできる経営者の重要性が益々高くなります。個別産業分野を縦串とすれば、データサイエンス等の分野横断的な方法論を武器にうまく横串を通すことのできる人材の価値が今まで以上に高まっていくでしょう。


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