でんた丸ブログ

サンタクロース

本日はクリスマスです。クリスマスといえばサンタクロースですが、今回はサンタクロースのように白い髭を生やした長身の経済学者 宇沢弘文(1928年~2014年)について紹介します。

宇沢弘文は高校時代にラグビー部に入り、大学では数学を学び、その後、経済学の本場である米国に渡り経済学者になりました。植田日銀総裁の師匠にあたる人で、ノーベル賞級の論文を米国で書き上げた後、日本に戻り東大、新潟大、中央大で研究を続けました。新潟大に在籍していた間には『経済解析』という本を上梓しました。

宇沢弘文は1968年に日本に戻ってから、日本の輝かしい経済成長の裏側で起こっている、交通戦争(自動車事故による死者数が増加し、1959年には交通事故死者数が1万人を超えました。)や水俣病をはじめとした公害問題に心を痛め、これらの問題を起こさないような人間らしい経済のあり方を模索しました。現在のサステナビリティにつながる考え方です。また、人間らしい経済のあり方を幅広い視点から考察する中で、教育のあるべき姿の提言までしていました。

宇沢弘文は、人類に多くの知のプレゼントをしたサンタクロースといえるでしょう。

「控除対象外消費税額等」の条文上の定義

インボイス制度が今年の10月1日からスタートしました。今回は、その経過措置の法人税法上の処理について考えてみたいと思いますが、その前にインボイス制度の内容について確認します。

インボイス(適格請求書又は適格簡易請求書)発行事業者以外の者(免税事業者、一般消費者又は登録を受けていない課税事業者)からの仕入れについては、仮にそれが課税仕入れであっても、原則として仕入税額控除の対象にはできません(消費税法30条1項、7項、8項、9項)。

但し、例外として、不動産業者・廃品回収業者・古物商・質屋が行う棚卸資産の仕入取引については、その相手方がインボイス発行事業者以外の者であっても、仕入税額控除の対象とすることができます(消費税法30条7項、消費税法施行令49条1項1号ハ)。

ここまでが、インボイス制度の内容ですが、経過措置として以下の負担軽減策が設けられました。つまり、2023年10月1日のインボイス制度スタートから3年間は、負担軽減策として仕入税額の80%相当額を、更にその後3年間は、仕入税額の50%相当額を仕入税額控除の対象とすることができます(平成28年改正法附則52条1項、53条1項)。

では、残余の仕入税額の20%相当額や50%相当額は法人税法上、どのように処理すべきなのでしょうか。これらは、本来的に仕入税額控除の対象にできないため、仕入れの対象が資産であっても、控除対象外消費税額等になることはありません。このことは、法人税法施行令139条の4第5項の「控除対象外消費税額等」の定義(法人税の課税上の用語であり、仕入税額控除の適用を受ける場合における課税仕入れ等に係る消費税額等のうち、仕入税額控除をすることができない金額のこと)から分かります。従って、残余の仕入税額の20%相当額や50%相当額は法人税法上、取引の対価の額に算入して法人税の所得金額の計算を行うことになります。

※附則:法律の中の本則以外の部分で、施行期日や、法律の制定・改廃による急変を緩和するための経過措置などを示す役割があります。インボイス制度は平成28年税制改正法により措置されたものですが、附則において上記の負担軽減策としての経過措置が定められました。

※法人税法65条で、「各事業年度の所得の金額の計算の細目」は政令で定めるとされており、その委任を受けた法人税法施行令139条の4で、「資産に係る控除対象外消費税額等の損金算入」について定められています。

公認会計士と公益

2023年12月10日(日)に公認会計士試験短答式試験が実施されました。

2022年5月に公認会計士法が改正され、2023年4月1日より施行されていますが、第1条の「公認会計士の使命」や第2条の「公認会計士の業務」の規定が改正されたわけではありません。2021年の公認会計士試験短答式試験では、以下の記述の正誤が問われました。「公認会計士の使命は、監査証明業務及び非監査証明業務を通じて、会社等の公正な事業活動、投資者及び債権者の保護等を図り、もって国民経済の健全な発展に寄与することである。」

答えは「〇」です。ここで「非監査証明業務」とは、公認会計士の名称を用いて、他人の求めに応じ報酬を得て、財務書類の調製をし、財務に関する調査若しくは立案をし、又は財務に関する相談に応ずることを業とすることを指します(公認会計士法2条2項)。監査証明業務以外のこれらの業務(監査証明業務とは異なり、公認会計士の独占業務ではありません。)をする場合であっても、最終的には「国民経済の健全な発展に寄与する」ことが公認会計士には求められているのです。換言すれば、公認会計士としては、国民経済の健全な発展に寄与するとは思えないにもかかわらず、会社等の事業活動、投資者及び債権者の保護を図ることがあってはならない、ということです。

 

 

非上場企業とサステナビリティ

巷では、SDGs、ESG、サステナビリティという用語をよく耳にし、SDGsバッジを付けている人も多く見かけるようになりました。これらの用語は、日本独自のものではなく、欧米が先導し既に世界的な潮流になっており、一時の流行に過ぎないとして片づけることは出来なくなりました。

SDGsは、ESGの各要素に分類しうる17の目標(2015年に国連で採択)からなり、サステナビリティを実現するための具体的な目標・取り組み指針として機能します。SDGsの内容は、以下のとおりです。

①貧困をなくそう、②飢餓をゼロに、③すべての人に健康と福祉を、④質の高い教育をみんなに、⑤ジェンダー平等を実現しよう、⑥安全な水とトイレを世界中に、⑦エネルギーをみんなに、そしてクリーンに、⑧働きがいも経済成長も、⑨産業と技術革新の基盤をつくろう、⑩人や国の不平等をなくそう、⑪住み続けるまちづくりを、⑫つくる責任 つかう責任、⑬気候変動に具体的な対策を、⑭海の豊かさを守ろう、⑮陸の豊かさも守ろう、⑯平和と公正をすべての人に、⑰パートナーシップで目標を達成しよう

これらの目標を全て達成できれば素晴らしいが、今まで、企業は外部不経済を省みずに利潤の最大化を行い、外部不経済に対処するのは政府の役割と考えられてきました。しかし近年では、ESG投資を行う機関投資家が増え、上場企業では、SDGsをいかに達成し企業価値を中長期的に高めるかが問われています。

非上場企業は、確かに外部の投資家の圧力に直接的にはさらされませんが、取引先の上場企業のサプライチェーンにあると当該上場企業の圧力、選別にさらされることになります。また、消費者に直接販売する企業であれば、消費者のSDGsに対する意識の高まりとともに、消費者から選別されることになります。

非上場企業においても、「サステナビリティなければ、中長期的な企業価値の向上なし」といえるでしょう。

「丸の内」の由来、歴史について

税理士法人 丸の内ビジネスコンサルティングは、丸の内にある岸本ビルの5階にあります。

今回は、「丸の内」の由来、歴史について考えてみます。

1.江戸時代

「丸の内」は、堀で囲まれた内側という意味です。東京の丸の内一帯は、江戸時代には江戸城の内堀と外堀に囲まれており、大名屋敷がありました。今でも内堀通り、外堀通りという形で内堀、外堀の名が残っています。岸本ビルがある辺りは、林大学頭(だいがくのかみ)の屋敷がありました。大学頭とは、江戸幕府の学問所である昌平坂学問所(1870年に廃止されましたが、現在は湯島聖堂として残存)の長官のことです。

2.明治時代

1867年に15代将軍徳川慶喜が大政奉還をし江戸幕府が倒れると、大名屋敷も取り払われたため、丸の内一帯は草が生える荒地と化していきました。しかし、1890年に丸の内一帯が陸軍から三菱社に払い下げられると、三菱は大規模な再開発をし、丸の内一帯は「一丁倫敦(ロンドン)」と呼ばれるまでになりました。道路が整備され、洋風の赤レンガ建物が立ち並び、当時のロンドンの光景に似ていたからです。当時のイギリスは、産業革命を経て世界中に植民地を有する大英帝国として、世界で最も繁栄していました。

3.大正時代

1914年に赤レンガの東京駅が完成しました。第一次世界大戦(1914年~1918年)の影響で、日本は好景気となり、丸の内一帯も日本のビジネスの中心として益々発展していきました。

1923年の関東大震災の際には、警視庁や東京商工会議所(渋沢栄一が1878年に創立)が大きな被害を受ける中、皇居前広場に多くの人達が避難してきました。

4.昭和時代

1938年に第一生命館が竣工しました。第一生命館は、終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)庁舎として接収され、マッカーサー元帥が1950年の朝鮮戦争の時に、ここから米軍の指揮をしました。

1972年からは、三菱地所株式会社と公益財団法人彫刻の森芸術文化財団(1969年に箱根で彫刻の森美術館を日本初の彫刻専門の野外美術館として開館)が主体となり、「丸の内仲通り」を中心に芸術性豊かな街づくりを目指すプロジェクトが開始しました。

5. 現在

現在の「丸の内仲通り」では、現代アート作品が定期的に入れ替わる形で展示され、冬にはイルミネーションで彩られます。

 

 

 


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